明道館パレード

イベントスケジュール

小雨決行・荒天中止

時 間 内 容
11:30〜 みやこんじょ歴史絵巻明道館パレード
都城島津邸⇒神柱宮

イベント内容・時間は、変更になる場合があります。

パレードコース

パレードコースの地図

歴代都城当主やお姫様に扮した行列が、
コースを練り歩きます。
沿道にてぜひご覧ください。

歴代都城当主やお姫様に扮した行列が、コースを練り歩きます。
沿道にてぜひご覧ください。

パレード順列

           

※2025年は下記の順番のパレードとなりました。(本ページに掲載している写真は、2025年度明道館パレードの様子です。)
※クリックすると詳しい説明が表示されます。

都城島津家領主
まずはじめにご紹介いたしますのが「都城領主の隊列です。山車(だし)の上に着座いたしますのは、およそ650年以上続く都城島津家29代ご当主の島津 久友様とご子息 久豊様です。
そして、都城領主の先頭に参列しておりますのが、みやこんじょPR大使であるフリーアナウンサーの中西 可奈(なかにし かな)さんです。
島津発祥まつり振興会の二見 重弘(ふたみ しげひろ)会長をはじめとする役員の皆様、
そして都城商業高校の皆様もパレードに参加していただいております。
五口六外城の姫(いつくちむとじょうのひめ)
続きまして「五口六外城の姫」の隊列です。
今年は、ロータリークラブ交換留学生(フィンランドからの留学生)サンニさんと(ポーランドからの留学生)ダグマラさん、(台湾からの留学生)スーイさんです。
熊本城おもてなし武将隊
続きましてゲストとして「熊本城おもてなし武将隊」から「島津 義弘(しまづ よしひろ)」・「八十姫(やそひめ)」「南条 元清(なんじょう もときよ)」が参陣してくださいました。「熊本城おもてなし武将隊」は熊本城を拠点に威風堂々と日ノ本一のおもてなしを目指して活動をされております。
後ほど神柱公園で開催中の島津荘園ステージで素晴らしい演武を披露していただきますのでそちらも楽しみにして下さい。
島津家の誕生 丹後局と忠久公
大のぼりのあとに続きますのは、「島津家誕生」の隊列でございます。
山車(だし)に乗っておりますのは、島津宗家初代忠久(ただひさ)公の幼少期と母・丹後局(たんごのつぼね)でございます。
初代忠久公誕生にまつわるこのような伝説がございます。
源頼朝の子を身ごもった丹後局(たんごのつぼね)は、正室・北条政子に妬まれたため鎌倉を逃れ、摂津国住吉大社までたどり着き、雨の降る夜に狐火に照らされて男の子を生みました。それが島津初代忠久公です。山車の押し手役が被ります狐のお面はその狐火伝説を表現しております。
忠久公役は(とくみつ ようすけ)君、丹後の局役は(とくみつ あやね)さんです。
(都城第一信用金庫)
北郷家の誕生
続きまして「北郷家(ほんごうけ)の誕生」の隊列でございます。
北郷 資忠(ほんごう すけただ)は、島津宗家4代当主島津忠宗の六男として生まれました。時は南北朝時代で、足利氏に従い北朝方の武将として南朝方と戦った資忠(すけただ)は、その功績が認められて、室町幕府より庄内北郷(ほんごう)の地300町を与えられ、居城を現在の都城市山田町の「薩摩迫」に定め、地名をとって姓を北郷(ほんごう)と改めました。ここから北郷家(ほんごうけ)のちの都城島津家がスタートいたします。
山車(だし)の上は、北郷 資忠(ほんごう すけただ)と今も関之尾に伝わる悲恋物語「お雪さんの盃流し」のエピソードを表現いたしました。
北郷 資忠(ほんごう すけただ)と家臣団に扮しますは、山田の昔を語る会会長の紺谷 肇一(こんたに けんいち)さんと山田の昔を語る会、都城商業高校の皆さんでございます。
また、お雪さんに扮するのは、都城観光レディの池田 未宥(いけだ みゆう)さん、石塚 唯愛(いしづか ゆあ)さん、福永 真夕(ふくなが まゆ)さんです。
初代資忠勧請(しょだいすけただかんじょう) <br>諏訪大明神
家臣団の後に続くのは、初代 資忠(すけただ)が創建したとされます、庄内町諏訪神社の祭礼の隊列でございます。庄内中学校の生徒さんたちです。
「都城盆地の統一」※騎馬武者
続きまして「都城盆地の統一」の隊列でございます。
戦国時代初期には、四方を敵に囲まれ、わずかに都島の都之城と庄内町の安永城を支配するだけの北郷家でしたが、8代忠相(ただすけ)の代では、度重なる戦いにより所領を拡大し、ついに、現在の都城市、三股町、曽於市を含む都城盆地をほぼ統一するに至りました。「北郷家の中興の祖」とも言える目覚ましい活躍でした。
馬上の忠相(ただすけ)役は、都城市長 池田 宜永(いけだ たかひさ)様でございます。
市長着用の甲冑は、高城郷土資料館所有の、忠相(ただすけ)所用と伝えられます鉄錆地南蛮胴具足(てっさびじ なんばん どうぐそく)のレプリカでございます。鯨髭(くじらひげ)の脇立てをもつ当世具足の名品のひとつと言われております。忠相(ただすけ)の隆盛が偲ばれます。
(都城市職員)
文禄の役と高麗虎狩
続いて通過いたしますのは高麗虎狩図の大灯篭でございます。
高麗虎狩図は豊臣秀吉の文禄の役で朝鮮出兵した島津軍の活躍とその時現地で行われた虎狩の様子を描いたものです。江戸初期に描かれたと思われるこの高麗虎狩図屏風は、6曲1双が島津伝承館に現存しております。
またこのとき北郷家からは11代当主忠虎が朝鮮に出兵し、各地で転戦し活躍しましたが、2度目に出兵した際、現地で病死いたしました。参加していただいていますのは鹿児島銀行の皆さんです。
「琉球出兵と安久武士」 ※安久節踊りあり
続きまして「琉球出兵と安久武士」でございます。
1609年島津宗家島津 家久(いえひさ)の命により、12代北郷 忠能(ただよし)の軍代北郷 久武(ひさたけ)率いる都城の武士たちは、琉球へ出兵することになりました。その際、士気を鼓舞するために歌われていた「陣中歌」が安久節と言われております。
晴れの席や飲み座、客送りに通じるところから、「打立ち唄(うったちうた)」とも呼ばれ、戦時中には出征兵士を見送る道中でも歌われました。
鹿児島の「おはら節」のルーツになったという説もございます。
馬上の軍代北郷 久武(ひさたけ)役は、宮崎銀行都城営業部部長 夏田 値架司(なつだ ちかし)さんです。安久武士並びに踊り手は、宮崎銀行行員の皆さんです。夏の盆地まつりの踊り連でも安久節を披露しております。
十五代久直夫人 春嶺
続いて通過いたしますのは、「十五代久直夫人 春嶺(しゅんれい)」の隊列でございます。
北郷家15代久直は25歳の若さで死去し、男子に恵まれておらず、北郷家は一時期当主不在となりお家断絶の危機となりました。
当主不在の間、久直夫人であった12代当主忠能(ただよし)の娘、春嶺が家老の補佐を受けながら、16年ものあいだ都城の治世を行ったとされています。
そして、春嶺役は、牛道 芽衣(うしみち めい)さんです。
またその春嶺を護衛するなぎなた隊はドミニコ学園の生徒の皆さんです。
明道館
続く隊列は「明道館」の一行です。
明道館とは、江戸時代の中頃、都城島津家第22代島津 久倫(ひさとも)公によってつくられた都城で最初の学校です。それ以来、都城の青少年の教育の場として、論語などの学問や、武道の稽古、体の鍛錬を行ってきました。
明治になって、その名は明道小学校へと引き継がれました。場所も現在の明道小学校の位置にありました。
その歴史の中で、学ぶ人が守るべき3つの教えが定められました。それが「学制三章」と呼ばれるものです。この「学制三章」は、現在の明道小学校でも大事にされ、校舎の壁に掲げられています。
隊列は、明道小学校の校長先生や先生方、そして児童の皆さんです。
「京都御所の護衛」※騎馬武者
続いて通過いたしますのは、「京都御所の護衛」でございます。
都城島津家25代当主島津 久静(ひさなが)は、幕末、公武合体に奔走した薩摩藩の実力者・島津 久光の娘婿で、文久2年京都御所護衛のため兵300を率いて上洛しました。都城島津家が中央で輝こうとしていた矢先、久静(ひさなが)は麻疹(はしか)にかかり、急死しました。家臣たちは、久静(ひさなが)の死を隠し、役目を全うし、お家の危機を乗り越えました。
久静(ひさなが)の陣羽織は当時としては珍しいビロードや二重のフリルなどが施された、
大名クラスの儀礼装束でした。
その陣羽織を着て久静(ひさなが)役に扮しますは、都城島津邸館長田之上 靖弘(たのうえ やすひろ)さんです。
久静公の従者に扮しますのは、都城商業高校の皆さんです。
都城六烈士と新選組
続いてやってきました隊列は「都城六烈士と新選組」の一行です。
戊辰戦争前年の1867年12月、伏見で幕府軍の動きを偵察する斥候や警備に当たっていた都城一番隊の隊士6人は、幕府側の新撰組らしき数十人の武装行軍を発見しましたが、斥候の任務は戦わずに報告するのが本命と直ちに藩邸に報告、藩は直ちに兵を現地へ繰り出しましたがそこにはすでに新選組の姿はありませんでした。
その後都城隊は前線から後衛に転陣を命ぜられたこともあり、他の隊から応戦せず逃げ帰ったと中傷を受けた彼らは、斥候任務を果たしたことを自負しながらも京都・東寺で自害し17歳から23歳という若い命を絶ったのです。
六烈士の最少年大峰壮之助は「武士(もののふ)の義の一筋に思い立ち、命は露も思はざりけり」との辞世の句を残しました。
戊辰前夜都城の若者によるもう一つの伏見の戦いがあったのです。
六烈士に扮するのは、庄内中学校の生徒の皆さん、そして新選組役は宮崎太陽銀行の皆さんです。
都城私領一番隊
錦の御旗に続きますは、都城私領一番隊です。
慶応4年1月3日、幕府軍1万5千と薩摩・長州連合軍5千が京都鳥羽・伏見で戦いを始めました。以後1年半に及んだ戦いが戊辰戦争です。
都城島津家も藩の命令を受けて、家臣123名から編成された「私領一番隊」を出兵させました。一番隊は鳥羽・伏見の戦いで奮戦したのち、江戸・二本松・会津若松と転戦しました。このように、都城の人たちも、日本の歴史を大きく変えた戊辰戦争に参加していたのです。
一番隊隊長に扮して馬(うま)に乗っておりますのは、陸上自衛隊都城駐屯地の矢羽田 峰志(やはた みねゆき)駐屯地司令とこの一番隊に扮して行進しているのは、陸上自衛隊都城駐屯地の皆さんです。
第1回目のパレードから一番隊として参加していただいております。
子ども武者と島津姫
続いて勇ましい子ども武者は、郷中(ごじゅう)教育を学ぶ5歳から小学5年生の少年たちです。
可愛らしい島津姫たちは、上町(かんまち)祇園山車と扇都美(せんとみ)会の子どもたちです。